久留米絣工房 藍木野の成り立ち

およそ220年前、少女井上伝(いのうえ でん)によって生まれた久留米絣。くくりー染めー織りと気の遠くなるほどの工程を経て作り出される久留米絣。糸を染めてから織るため、柄がわずかにズレてかすったような柄になる完璧ではないホッとする美しさプリントとは違う柄のやわらかさ、素晴らしさに魅せられた私は、母の介護の合間をぬって久留米絣の織元に通い続けました。
集めた手織りの反物をベッドの上の母とながめては、藍色の美しさになぐさめられたものでした。母なき後、残された時間をこうやって久留米絣とともに生きていける私は、とても幸せです。工房の名は、母の名からとりました。
その後、下北沢の駅前ビル、本多劇場に連なる通路の一角に藍木野の店は生まれました。一坪くらいの小さな店、ありあわせのハンガー掛けとテーブルの上に、手作りの絣の洋服が並びました。その頃、身体が弱かった店主の私は、久留米絣の大きな座布団に座って、いつもテーブルにもたれて寝ていました。絣の暖かさ、手作りの暖かさに魅かれた人が、一人、二人ち立ち止まり、今の藍木野を支えてくださっています。
人から人へ伝わり、たくさんの人たちに支えられて藍木野は育ってきましたが、2005年に事務所を豊洲に移しました。日本全国の百貨店で催事販売、雑誌通販(LightUp/Zekoo、家庭画報、ワコールなど)や銀座に店舗を出して久留米絣のオリジナルブランド製品を販売してきましたが、現在は自社ウェブサイトでの販売のみに限定し、久留米絣の伝統文化を普及する活動をゆっくりと楽しみながら進めています。
久留米絣工房 藍木野(あきの) 代表 吉田秀子

私は久留米絣の素晴らしさに魅せられてからこれまで30年間、奇をてらわずプレーンな絣の衣を作り続け、広めてきました。「よりよい柄を、よりよい染めを」と夢中になって追い求めてきた久留米絣に携わる先人たちの伝統を伝えるために、「ずっと長く着てもらえるような良い服を作ろう。丁寧に見えないところまで心をこめて作ろう」 といつも心がけてきました。

久留米絣の良さを多くの人に伝えたい、そして日本の伝統を守りたいと願いながら活動してきてきた内容を1つにまとめて「藍木野コレクション」を立ち上げました。織物、衣、手織作家、古布について私が長年触れてきた久留米絣の愛しさを紹介します。私が選んだ作品、柄、織りなどについて単なる説明ではなく、想いやエピソードも語っています。

久留米絣は江戸時代後期に井上伝(いのうえ でん)という少女によって生まれ、まわりの女性たちに作り方を広め、販売することで貧しさから開放しました。私も50歳にして小さく小さく始めた「藍木野」(あきの)という会社をどのような想いと出会いで長く続けてこられたか伝えることで、若い女性たちに自分らしい将来を歩くためのヒントが芽生えればうれしいです。
この「藍木野コレクション」を藍木野のために手織り反物を織り続けてくださった田中巌さん、藍染めで藍木野を支えてくださった中尾一美さんをはじめ、よりよい柄を、よりよい染めを、と追求して、たくさんのすばらしい作品を残してくださった織元さん方、また長く愛用できる、どんな場面でも誇れる洋服を心をこめて仕立ててくださっている藍木野職人たちにささげます。
いつも私たちを励まし、応援してくださるお客様、これから自分らしく生きる道を探し求めている若い女性たちにささげます。

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